企業向けの AI 導入を手がける Varick の CEO、Vasuman Moza 氏(@vasuman)が 9 月 4 日に X へ投稿した長文記事が、導入現場で静かに読まれている。表示回数は 87 万回、ブックマークは 7,000 件を超えた。主張は身も蓋もない。多くの企業は、うまく回っていない業務プロセスの上に AI を載せ、うまく回っていないものを速くしているだけだ、というものだ。氏は大企業の CEO・CIO・CFO 300 人以上と話した経験からそう結論づけている。SYNCON 編集部は、この投稿が土台にしている一次資料に当たり、論点を整理した。
3 行まとめ
- 「既存のやり方を機械化するだけでは IT 投資は報われない」という指摘は 1990 年の Harvard Business Review にすでにある。AI に置き換えても構造は同じ
- 英国政府が Microsoft 365 Copilot を 1,000 ライセンスで試験した結果、利用者の 72 % は満足したが、報告書は「時間削減が生産性の向上につながるという確かな証拠は見つからなかった」と結論した
- 時間は作業そのものではなく、決裁待ち・確認待ち・差し戻しに埋まっている。経営者が最初に出すべき指示は「どの AI を買うか」ではなく「実作業時間と経過時間を別々に測れ」
「牛道を舗装するのはやめる時だ」— 1990 年の警告
Moza 氏が投稿の冒頭に置いたのは、元 MIT 教授 Michael Hammer が 1990 年に Harvard Business Review へ寄稿した論文だ。表題は「Reengineering Work: Don’t Automate, Obliterate」、直訳すれば「自動化するな、消し去れ」。Hammer はそこで、IT 投資が期待外れに終わるのは、企業が既存のやり方をそのまま機械に載せ替えているからだと書いた。有名な一節が「It is time to stop paving the cow paths.(牛道を舗装するのはやめる時だ)」である。牛が歩いてできた曲がりくねった道をアスファルトで舗装しても、道の形は変わらない。速く走れるようになるだけで、遠回りは遠回りのまま残る。
Moza 氏の指摘は、この一文の「舗装」を「AI」に置き換えれば今日そのまま通用する、というものだ。ライセンスをまとめて買い、全社員に研修を受けさせ、既存の業務手順の各工程に AI を差し込む。工程の順番も、承認の階層も、部門の分かれ方も変えていない。
22 日のうち、手が動いていたのは 17 分
同じ論文に、経営層が一度読んだら忘れられない数字が出てくる。Hammer が引いた保険会社の例では、1 件の申請書がプロセスの中に 22 日間あった一方で、実際に誰かが手を動かしていた時間は合計 17 分だった。残りは待ち時間だ。上長の決裁待ち、他部署への確認待ち、書類が次の担当者の机に届くまでの移動待ち。
ここに、AI 投資でもっとも起きやすい取り違えがある。各工程の作業を 2 倍速にしても、縮むのは 17 分の半分、つまり 8 分半にすぎない。22 日はほとんど動かない。にもかかわらず社内には「処理時間を 50 % 削減した」と報告される。予算は使い切られ、顧客が体感する納期は変わらず、取締役会には「AI は効かなかった」という結論だけが残る。Moza 氏自身の顧客企業でも、新規案件の口座開設は実作業 25 分に対して、実際の経過時間は 2 日から 2 週間だったという。
英国政府が 1,000 ライセンスで確かめたこと
この構図を、当事者ではない第三者が測った例がある。英国の Department for Business and Trade(ビジネス・貿易省)が 2024 年 10 月から 12 月にかけて実施した Microsoft 365 Copilot の評価だ。1,000 ライセンスを配り、約 300 人の職員がデータ分析への提供に同意した。
結果は率直に書かれている。利用は 1 ユーザーあたり 1 日平均 1.14 アクション。PowerPoint のスライド作成は平均して 7 分以上速くなったが、非利用者より品質と正確性は劣った。Excel のデータ分析にいたっては、非利用者より遅く、しかも品質と正確性も低かった。メール作成の時間削減は「極めて小さい」と記されている。それでいて、利用者の 72 % は満足または非常に満足と答えた。報告書の結論はこうだ。「時間削減が生産性の向上につながるという確かな証拠は見つからなかった」。
満足度と成果が食い違っている。これが個人の手応えと組織の数字のあいだに横たわる断層で、道具の性能の話ではない。
「まずシステムを一つにしてから」という遠回り
では順番を変えて、基幹システムを統合してから AI を載せればよいのか。Moza 氏はここに二つの事例を置く。英国の TSB は 2018 年 4 月に基幹系を新しい IT プラットフォームへ移行したが、データ移行そのものは成功した直後に技術的な障害が発生した。全支店と 520 万人の顧客の相当部分が影響を受け、復旧は同年 12 月までかかった。2022 年 12 月、FCA が 2,975 万ポンド、PRA が 1,890 万ポンドの制裁金を科し、合計は 4,865 万ポンドとなった。顧客への補償は 3,270 万ポンドが支払われている。
もう一つは医療機器の Zimmer Biomet が 2025 年 9 月に Deloitte を相手取って起こした訴訟で、基幹システム刷新の失敗により出荷・受領・請求・基本的な売上レポートが機能しなくなったとして 1 億 7,200 万ドル超の損害賠償を求めている。ただしこれは係争中の一方の主張で、Deloitte は請求に根拠がないとして全面的に争う姿勢を示している。
Moza 氏の結論は、統合すべきはシステムではなく業務プロセスの定義だ、というものだ。20 年で 9 社を買収した会社なら、同じ業務が 9 通りある。AI エージェントはシステム間の表記ゆれや不整合をある程度許容できるので、既存システムを一本化せずに、その上へ調整役の層を置けばよい、と主張する。
再設計が難しいことは、すでに一度証明されている
ここで公平に付け加えるべきことがある。Hammer 自身が Champy との共著『Reengineering the Corporation』(1993 年)で、リエンジニアリングに着手した組織の 50 % から 70 % が意図した成果を出せなかったと見積もっている。著者ら自身が非科学的な推計だと注記しているが、Hammer は後年、自分たちは人間的側面への理解が不十分だったと認めてもいる。当時「業務の受け渡しをなくす」は、そのまま「その担当者を解雇する」を意味した。ソフトウェアは変更に追随できず、コンサルタントが去れば元の手順に戻った。
それでも今は事情が違う、と Moza 氏は言う。最初に消えるのは判断業務ではなく、催促・待ち・エスカレーション・振り分けといった調整の仕事だからだ。なお、企業側の支出はすでに動いている。ベンチャーキャピタル Menlo Ventures の調査によれば、企業の生成 AI 支出は 2025 年に 370 億ドル、2024 年の 115 億ドルから 3.2 倍になった。金額は増えている。英国政府の報告書が示すのは、その金額が成果指標と結びついていないという別の問題だ。
SYNCON の視点 — 日本の非エンジニア経営層は何を盗むべきか
総務省の情報通信白書によれば、生成 AI を積極的に活用する方針、あるいは活用を検討していると答えた日本企業は 2024 年度調査で 49.7 % となり、2023 年度調査の 42.7 % から増えた。一方で活用しない理由の最多は「実用的な活用方法が分からない」である。この「分からない」の正体は、技術の理解不足ではないことが多い。自社の業務のどこに時間が滞留しているかを、そもそも測っていないのだ。滞留の場所が分からなければ、どの道具をどこに置けばいいかは決めようがない。
月曜からできることは二つある。第一に、主要な業務を一つ選び、実作業時間と経過時間を別々に測らせること。見積書の作成に手を動かしている時間が数十分でも、依頼から先方に届くまでが数日かかっているなら、手を付けるべきは作業そのものではなく、そのあいだの待ち時間である。第二に、権限の設計である。4 つの部門をまたぐ業務は、その 4 部門すべてに指示できる人しか変えられない。情報システム部門や AI 推進室に予算だけ渡しても、部門の境界は動かない。来週の経営会議で問うべきは「どの AI を導入するか」ではなく、「この業務は依頼から完了まで何日かかっていて、そのうち実際に手が動いているのは何分か」である。
要点まとめ
- 既存の業務手順をそのままにして AI を差し込むだけでは成果は出ない、という指摘は 1990 年の Hammer 論文と同じ構造
- Hammer が引いた保険会社の例では、申請書は 22 日プロセス内にあり、実作業は 17 分だった。作業を速くしても待ち時間は縮まない
- 英国 Department for Business and Trade の Copilot 評価は、利用者の 72 % が満足しながら「時間削減が生産性の向上につながる確かな証拠は見つからなかった」と結論した
- 「まず基幹システムを統合してから」は高くつく。TSB は合計 4,865 万ポンドの制裁金を受け、Zimmer Biomet は 1 億 7,200 万ドル超の賠償を求めて係争中
- 日本企業の生成 AI 活用意向は 49.7 % まで来たが、最大の障壁は「実用的な活用方法が分からない」こと。測定が先で、道具の選定は後
- 経営層の最初の指示は「実作業時間と経過時間を別々に測れ」。差が大きい業務から、プロセスごと組み替える権限を誰かに渡す
情報ソース:
・Harvard Business Review「Reengineering Work: Don’t Automate, Obliterate」(1990 年)
・UK Department for Business and Trade「Microsoft 365 Copilot Evaluation Report」
・The Register(2025 年 9 月 4 日)
・Financial Conduct Authority「TSB fined £48.65m」(2022 年 12 月)
・MassDevice「Zimmer Biomet sues Deloitte」(2025 年 9 月)
・Menlo Ventures「The State of Generative AI in the Enterprise」
・総務省「情報通信白書」
・元投稿:Vasuman Moza 氏(@vasuman)、2026 年 9 月 4 日
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